2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目の「平泉」。
菅田将暉さん演じる「源義経」が青年期を過ごし、「平家」打倒のため挙兵したのが「平泉」。
また、「平家」打倒後、こともあろうことか兄「頼朝」に追われ逃げ落ち、最期を遂げたのが「平泉」。
「平泉」といえば「金色堂」で有名な「中尊寺」が有名ですが、「平泉」に観光で訪れた時に是非お勧めしたいのが【高館義経堂(たかだちぎけいどう)】。
【高館義経堂(たかだちぎけいどう)】は「源義経」が最期を遂げた地に建てられたお堂。
また、江戸時代の俳人「松尾芭蕉」が、かの有名な句「夏草や兵どもが夢の跡」を詠んだ場所でもあります。
「源義経」や「松尾芭蕉」といった歴史上の有名な人物が登場する【高館義経堂(たかだちぎけいどう)】ですが、「世界遺産」には登録されていません。
ですが「平泉」を訪れたら忘れずに訪れたい「観光スポット」です。
【高館義計堂(たかだちぎけいどう)】とは?見どころは?
【高館義経堂(たかだちぎけいどう)】の見どころは2つあります。
「源義経」最期の地
「義経」は「平家」との戦いで大活躍した後、兄の「頼朝」の怒りをかってしましいます。
義経は青年期を過ごした「奥州藤原氏」を頼り、「平泉」に逃れます。
はじめは「藤原秀衡」によって守られていましたが、「頼朝」の圧力に屈して攻められ、1189年4月30日「義経」は「藤原泰衡」の急襲を受け最期を遂げます。
その後1683年、仙台藩主第四代「伊達綱村公」が「源義経」を偲んで建てたお堂が、この【高館義計堂(たかだちぎけいどう)】です。
入口の階段を上がると「お堂」があり、その中に「義経公」の木像が安置されています。
「凛々しい」姿の木像です。
「松尾芭蕉」が「夏草や兵どもが夢の跡」を詠んだ地
この「高館」の地では「奥の細道」で有名な江戸時代の俳人「松尾芭蕉」がこの句を詠みました。
この句は芭蕉が46歳の頃の作、1689年5月13日に詠まれました。
「兵ども」とは、「源義経」やその家来(弁慶など)、「奥州藤原氏」を指します。
「夢の跡」とは、全てが過ぎ去ってしまい何もない様子。
義経が最期を遂げてからおよそ500年経ち、芭蕉はこの高館義計堂(たかだちぎけいどう)の地を訪れました。
戦の天才とうたわれた「義経」や、栄華を誇った「藤原氏」の面影はなく、その痕跡は何もない。
「夢の跡」という言葉にその意味がこめられています。
また、今はただ夏草が生い茂る様子を見て、「人の世の儚さ」を詠んでいると言われています。
高館義計堂(たかだちぎけいどう)は源義経と松尾芭蕉といった、日本の歴史に登場する二人とゆかりのある地です。
【高館義経堂(たかだちぎけいどう】観光時間
【高館義経堂(たかだちぎけいどう)】の境内はこじんまりとしています。
階段を上った先のは「義経公」の木像が安置された「お堂」と、「松尾芭蕉」の「兵どもが夢の跡」の句碑があるだけです。
なので、観光時間の目安としては15分程度もあれば十分だと思います。
義経、平家、頼朝、藤原氏に関するお話
余計な内容かもしれませんが、義経にまつわる歴史について自分なりに調べてみました。
興味のない方はスルーしてください。
また、史実と違うという部分がありましたら、ご容赦ください。
あくまで、自分の興味で調べた内容です。
では…
「牛若丸」と呼ばれた幼少期
義経は「牛若丸」と呼ばれた幼少期にあずけられた「鞍馬寺」で、僧兵から剣術を習得。
その後、出家する前に「平泉」に移り、奥州藤原氏、初代秀衡の庇護を受けます。
この「平泉」にいる時期に馬術を習得。
鞍馬寺で剣術、平泉で馬術を会得し、軍事の天才と呼ばれる礎を築いたと言われています。
「平家」との戦いでヒーローに
その後、兄「頼朝」が平氏との戦を始めると自らも参戦。
一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いで大活躍し、平氏を滅ぼした最大の立役者となりました。
「軍事」においてあまりの天才的な才能があったため、兄「頼朝」はその力を恐れ「義経」の命を奪った一つの要因とされています。
「頼朝」から追われる身に
一躍「ヒーロー」となった「義経」は、京都でも人気に。兄「頼朝」の許可を得ることなく「朝廷」から「官位」を受けたことで状況は一変。
「頼朝」の怒りを買うことになり、「朝敵」とされ追われる身となります。
「平泉」に逃れる
「義経」はなんとか幼い頃に育った「平泉」に逃れます。
その当時の平泉は幼い頃に庇護を受けた「藤原秀衡」が健在であったため、「義経」を守ってくれました。
しかし「秀衡」の死後、 後を継いだ「泰衡」は「頼朝」の圧力に負け、「義経」を急襲することに。
この状況に「義経」は覚悟を決め、正妻の郷御前と4歳の女子を自ら手をかけます。
その後、「義経」自身も自害し31歳という若さでこの世を去りました。
「弁慶」の立ち往生(べんけいのたちおうじょう)
「義経」が敵の手にかかることなく、武士として立派な最期を遂げるために敵の前に立ちふさがったのが家来の「武蔵坊弁慶」。
「弁慶」は全身に矢を受けながらも、しっかりと眼を見開いたまま「義経が」最期をとげるまで敵を一歩も入れなかったといわれています。
この時、「弁慶」自身は既に亡くなっていて、この「弁慶」が立ったまま亡くなっている姿を「弁慶の立ち往生」といいます。
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判官贔屓(ほうがんびいき)
歴史のヒーローでありながら、自らの兄に恨まれ悲劇の最期を遂げた「義経」。
そんな「義経」の生きざまに人々は共感し、「義経」をひいきにします。
当時、義経は「判官(ほうがん)」という地位を持っていたので、「義経」のような人を「ひいき」にするということで、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉が生まれました。
義経、弁慶、頼朝、奥州藤原氏、松尾芭蕉といった歴史上の人物が行きかった「高館義計堂」(たかだちぎけいどう)。平泉に行った際には、是非立ち寄られることをおすすめします。
【高館義経堂】 アクセス 拝観料 駐車場 駐車料金
高館義経堂 基本情報
- 住所 岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14
- 電話 0191-46-3300
- 定休日 年中無休
- 拝観時間 8:30~16:30
※11月5日~3月4日は8:30~16:00 - 拝観料 大人 200円
小中学生 50円
車で行く場合
東北自動車道 平泉・前沢IC下車 約6km 約10分
東北自動車道 一関IC下車 約3km 約8分
一関IC周辺にはガソリンスタンドがあります。給油が必要な場合はこちらで早めに給油した方がいいでしょう。
電車で行く場合
新幹線で行く場合 一関駅 下車 東北本線乗り換え 平泉駅 下車
平泉駅から高館義経堂まで 約1.2km 徒歩15分 タクシー利用の場合約5分の距離
【高館義経堂】駐車場
高館義経堂には駐車場があります。
駐車料金は無料でした。
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みなさまの旅の計画のご参考になれば幸いです。