2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目の「平泉」。
「頼朝」に追われた「義経」が逃げ落ちたのが「平泉」で、「義経」は「平泉」で最期を遂げます。
「平泉」で観光といえば「世界遺産」にも登録されている「中尊寺」。
その中でも国宝「金色堂」は人気の観光スポットで、多くの観光客が足を運びます。
そんな多くの方が訪れる中尊寺ですが、中尊寺の山門(入口)を中尊寺と反対側に渡ったところに、なんと「源義経」の家来である【武蔵坊弁慶】のお墓があります。
中尊寺に来た多くの方は車を駐車場に停めて、そのまま中尊寺の境内の奥の方へ進んでしまいますし、帰りもそのまま駐車場に直行!
なんてことが多いと思いますので、意外と気がつかない方が多いかもしれません。
なので、中尊寺の山門(入口)近くに弁慶のお墓があるということを知っていると、ちょっと「ポイント」が高いかもしれません。
「中尊寺」の入口近くに、「武蔵坊弁慶」のお墓があることを知っているとポイント高いですよ!
「武蔵坊弁慶」のお墓
「弁慶」のお墓がこちらです。
「武蔵坊弁慶」の身体に合わせたのでしょうか?
「墓石」もかなり大きなもの。
「弁慶」の立ち往生
ところで、なぜここ「平泉」中尊寺に「武蔵坊弁慶」のお墓があるのか?
今から約900年前、ちょうど平安時代末期、日本では「平家」と「源氏」が天下をかけて争っていました。
「平家」と「源氏」の戦で、「平家」滅亡の立役者となったのが「源義経」。
軍事の天才で、次々と勝利を収めました。
平家との戦いで最大の功労者であった「義経」ですが、その後兄「頼朝」の怒りを買い、幼少期を過ごした「平泉」に逃れます。
「武蔵坊弁慶」は「義経」の第一の家来であり、一緒に平泉に逃れます。
「平泉」をおさめていた奥州藤原氏は、当初「義経」を保護していましたが、時の権力者である「頼朝」の圧力に屈し、義経を襲撃することとなりました。
1189年義経は自害。
その時、主君である「義経」が敵の手にかかることなく、立派に自害するために、敵の前に立ちはだかったのが「武蔵坊弁慶」。
「武蔵坊弁慶」は自分の身体にたくさんの矢を受けながら、敵の前にたちふさがりました。
この時すでに「武蔵坊弁慶」は絶命し、立ったままその場に立ち尽くしたことを「弁慶の立ち往生」といいます。
この主君のために忠義を尽くした「武蔵坊弁慶」を想い、後に中尊寺の僧侶がこの地に石碑を立てたとされています。
主君「義経」のために最後まで忠義を果たした「武蔵坊弁慶」の生き様は素晴らしいですね
まとめ
「中尊寺」に行った時に、たまたま見つけた「武蔵坊弁慶」のお墓。
「中尊寺」の山門(入口)近くにあります。
みなさんも「中尊寺」に観光に行かれた際には、「武蔵坊弁慶」のお墓に立ち寄って、「義経」、「武蔵坊弁慶」に想いをはせて、手を合わされてみてはいかがでしょうか?
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みなさまの旅の計画のご参考になれば幸いです!