平泉観光といえば中尊寺。
その中でも国宝「金色堂」は人気の観光スポットで、多くの観光客が足を運びます。
そんな多くの方が訪れる中尊寺ですが、中尊寺の山門(入口)を中尊寺と反対側に渡ったところに、なんと源義経の家来である【武蔵坊弁慶】のお墓があります。

中尊寺に来た多くの方は車を駐車場に停めて、そのまま中尊寺の境内の奥の方へ進んでしまいますし、帰りもそのまま駐車場に直行!
なんてことが多いと思いますので、意外と気がつかない方が多いかもしれません。
なので、中尊寺の山門(入口)近くに弁慶のお墓があるということを知っていると、ちょっと「ポイント」が高いかもしれません。

中尊寺の入口近くに、「弁慶」のお墓があることを知っていると、ちょっと「ハナタカ」になれますよ!
武蔵坊弁慶のお墓
弁慶のお墓がこちらです。
弁慶の身体に合わせたのでしょうか?
墓石もかなり大きなもの。

弁慶の立ち往生
ところで、なぜここ平泉中尊寺に弁慶のお墓があるのか?

今から約900年前、ちょうど平安時代末期、日本では平家と源氏が天下をかけて争っていました。
平家と源氏の戦で、平家滅亡の立役者となったのが源義経。
軍事の天才で、次々と勝利を収めました。
平家との戦いで最大の功労者であった義経ですが、その後兄「頼朝」の怒りを買い、幼少期を過ごした平泉に逃れます。
弁慶は義経の家来であり、一緒に平泉に逃れます。
平泉をおさめていた奥州藤原氏は、当初義経を保護していましたが、時の権力者である頼朝の圧力に屈し、義経を襲撃することとなりました。
1189年義経は自害。
その時、主君である義経が敵の手にかかることなく、立派に自害するために、敵の前に立ちはだかったのが弁慶。
弁慶は自分の身体にたくさんの矢を受けながら、敵の前にたちふさがりました。
この時すでに弁慶は絶命し、立ったままその場に立ち尽くしたことを「弁慶の立ち往生」といいます。
この主君のために忠義を尽くした弁慶を想い、後に中尊寺の僧侶がこの地に石碑を立てたとされています。

主君「義経」のために最後まで忠義を果たした「弁慶」の生き様は素晴らしいですね
まとめ
中尊寺に行った時に、たまたま見つけた弁慶のお墓。
中尊寺の山門(入口)近くにあります。
みなさんも中尊寺に観光に行かれた際には、弁慶のお墓に立ち寄って、義経、弁慶に想いをはせて、手を合わされてみてはいかがでしょうか?
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